小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、ギリシャのレフカダ島で生まれ、父はアイルランド人、母はギリシャ人でした。国籍としては長くイギリス(アイルランドは当時イギリス領)に属し、1896年(明治29年)に日本へ帰化して日本国籍を取得し「小泉八雲」と名乗りました。「何人か」を一言でいえば「アイルランド系の父とギリシャ人の母のもとに生まれ、のちに日本人になった人」です。
1850年、イギリス軍医の父チャールズ・ブッシュ・ハーンと、ギリシャ人の母ローザのあいだに、ギリシャのイオニア諸島レフカダ島で生まれました。「ラフカディオ」という名も、この島の名にちなんでいます。
2歳でアイルランドのダブリンに移りますが、まもなく両親は離婚。父は再婚して去り、母もギリシャに帰ってしまい、八雲は大叔母に育てられます。16歳のとき事故で左目を失明し、大叔母の破産もあって、19歳で単身アメリカへ渡りました。シンシナティやニューオーリンズで新聞記者として働き、事件記事や紀行文で頭角を現します。
1890年、雑誌の通信員として来日。島根県の松江中学に英語教師として赴任し、松江藩士の娘・小泉セツと結婚しました。1896年に日本に帰化し、妻の姓「小泉」と、出雲を象徴する古歌「八雲立つ出雲八重垣」から採った「八雲」を合わせて小泉八雲と名乗ります。以後、熊本の第五高等学校、東京帝国大学、早稲田大学で英文学を講じました。
各地の伝説・怪談を英語で再話した『怪談』(Kwaidan, 1904年)は「耳なし芳一」「雪女」「むじな」などを収め、日本文化を世界に伝えた名著となりました。1904年9月26日、心臓発作のため54歳で東京で亡くなっています。小泉八雲の作品は青空文庫で日本語訳を無料で読むことができます。