太宰治の本名は津島修治(つしま しゅうじ)です。1909年(明治42年)、青森県北津軽郡金木村の大地主・津島家に生まれました。
津島家は青森有数の大地主で、父・源右衛門は貴族院議員も務めた名家でした。修治はその六男(十一人きょうだいの十番目)として生まれ、乳母や叔母に育てられます。裕福な家の出でありながら、自らの階級への負い目を抱き続けたことが、後の作品世界の根にあります。
「太宰治」というペンネームは1933年、短編「列車」を発表した際に初めて用いられました。由来については諸説あり、決定的な定説はありません。
東京帝国大学仏文科に入学するも中退。自殺未遂、薬物依存、心中未遂など波乱の生涯を送りながら、『走れメロス』『津軽』『斜陽』『人間失格』などを残しました。1948年(昭和23年)6月13日、山崎富栄とともに東京・玉川上水に入水し、38歳で亡くなっています。