太宰治(1909〜1948)は青森県出身の小説家。自己の弱さと罪悪感を告白体で描き、『人間失格』『斜陽』などを残して38歳で玉川上水に入水しました。
1909年、青森の大地主・津島家の六男として誕生。青森中学から弘前高校を経て東京帝国大学仏文科に進みますが、左翼運動への関与と作家志望のため学業を放棄し中退します。
1935年、『逆行』が第一回芥川賞の候補となるも落選。選考委員だった川端康成に激しい抗議文を送ったエピソードは有名です。1936年にはパビナール(麻薬性鎮痛剤)中毒で入院、その間に妻の不貞を知り心中未遂に至るなど、20代は破滅的な日々が続きました。
1939年に石原美知子と結婚してからの数年は安定期にあたり、『走れメロス』『富嶽百景』『駈込み訴え』など明るく端正な作品を書いています。戦時下には故郷を旅した『津軽』、古典を翻案した『お伽草紙』を発表しました。
敗戦後、没落する華族の家を描いた『斜陽』が大ベストセラーとなり「斜陽族」という流行語まで生まれます。しかし結核と酒に蝕まれ、1948年、『人間失格』脱稿後まもなく山崎富栄とともに玉川上水に入水。38歳でした。