北大路魯山人の死因は肝吸虫(肝臓ジストマ)による肝硬変です。1959年(昭和34年)12月21日、76歳で亡くなりました。好物だった淡水魚(川魚・タニシ)の生食が原因とされますが、感染経路には諸説あります。
死去したのは横浜市立医科大学の十全病院で、1959年12月21日、享年76。死因は肝硬変とされ、その背景に肝吸虫(かつて「肝臓ジストマ」と呼ばれた寄生虫)の感染があったといわれます。肝吸虫は淡水の貝(マメタニシ)→淡水魚→人と渡る寄生虫で、感染経路は鮒などの淡水魚の生食説のほか、魯山人が好んだタニシから感染したとする説もあり、確定した一つの原因があるわけではありません。
魯山人は生涯を通じて「新鮮な素材をそのまま食べる」ことにこだわり、琵琶湖や川で獲れた淡水魚の刺身を好んで食べていました。淡水魚には肝吸虫(肝臓ジストマ)の寄生リスクがあり、それが慢性的な肝障害を招いて肝硬変に至ったといわれます。美食を追い求めた人生の帰結として、しばしば語られる逸話です。
では「何がすごい人」なのか。魯山人は書・篆刻(てんこく)・陶芸・漆芸・料理・美術評論と、まったく異なる分野のそれぞれで一流と認められた稀有な芸術家でした。会員制料亭「星岡茶寮」を主宰し、自ら焼いた器に自ら作った料理を盛るという、器と料理を一体の総合芸術としてとらえる姿勢を貫きます。
「食器は料理の着物である」という有名な言葉は、この考え方を端的に表したものです。妥協を許さない美意識と歯に衣着せぬ食談義を綴った随筆群は今も読み継がれ、漫画『美味しんぼ』の海原雄山のモデルとしても知られています。
本名は北大路房次郎。1883年(明治16年)に京都・上賀茂神社の社家に生まれ、幼くして養子に出されるなど不遇な少年期を過ごしました。魯山人の随筆は青空文庫で無料で読むことができます。