志賀直哉が「小説の神様」と呼ばれるのは、一語一語に無駄がなく、対象を正確にとらえた簡潔で写実的な文体によります。説明を極力そぎ落とし、人物の行動と情景だけで心理を過不足なく描き切るその文章は、多くの作家が手本として書き写したほどで、日本語の散文の一つの到達点とされました。
志賀の作風を一言でいえば「簡潔・即物的・写実的」です。感情を直接説明せず、人物のちょっとした動作や目に映る風景を短い文で積み重ねることで、読者に心理を感じ取らせます。形容や比喩に頼らず、事実を正確に並べるだけで緊張感が生まれるのが特徴で、しばしば「そぎ落とした文章」「彫琢された散文」と評されます。
「小説の神様」という呼び名は、大正末から昭和初めにかけて文壇で自然に広まったものです。とくに芥川龍之介や小林秀雄をはじめとする後進の作家・批評家が、志賀の文章を近代日本語の模範として高く評価しました。志賀自身は寡作で、生涯に書いた小説は長編一作と短編・小品が中心でしたが、その一作一作の完成度の高さが伝説的な評価につながりました。
代表作『城の崎にて』(1917年)は、電車にはねられて療養する「自分」が、蜂・鼠・イモリの死を見つめながら生と死の近さを静かに考える短編です。わずか十数ページに志賀の文体と主題が凝縮され、日本の短編小説の最高傑作の一つに数えられます。唯一の長編『暗夜行路』(1921〜1937年)は、完成までに16年を要した自伝的大作です。
志賀直哉は1883年(明治16年)に宮城県石巻に生まれ、学習院を経て東京帝国大学国文科を中退。武者小路実篤・有島武郎らと雑誌「白樺」を創刊し、白樺派の中心作家となりました。1949年に文化勲章を受章し、1971年に88歳で死去。作品は青空文庫で無料で読めます。